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【堕落論×アクアリウム】水槽に癒される理由は「弱さ」にある

こんにちは、F E E Lです。
先日、神奈川近代文学館の「坂口安吾展」に足を運びました。
堕落論を書いた、あの安吾です。
展示を見終えたその夜から、私は毎晩、愛する人に全集を読み聞かせられています。
しかも朗読が妙に上手いものですから、断れません。
私はただ、水槽の前で静かに、無の境地になるばかりです。
そんな状態で水槽を眺めていてふと思ったんです。
「この水槽、思った以上に“堕落”してる…?」
堕落論とアクアリウム。
まさかの偶然が、妙にしっくりきてしまいました。
◆「堕ちることこそ人間の本質」―安吾のメッセージ
坂口安吾はこう言ってます。
人間は、弱くて、堕ちる生き物だ。
だからこそ生きる意味がある。
理想を飾って生きるより、
弱いままの自分をさらけ出せ、と。
「強くあらねばならない」なんて、
誰が決めたのでしょう。
弱くて、迷って、諦めて、また少し戻る。
それが人間らしさだと、安吾は説きます。
◆水槽の中にも、堕落がある
アクアリウムの世界もまた、綺麗だけではありません。
- 強い魚が餌を独占し
- 弱った個体は隠れて
- コケは勝手に増殖する
- そして水草は、光を求めて、勝手に伸びる
そこに「整えるべき理想の形」なんてありません。
あるのは、ただ生きようとする力だけ。
小さな水槽の中に、
弱肉強食も、欲も、必死さも、全部詰まっています。
◆それでも人は、理想を押しつけてしまう
透明な水。
揃ったレイアウト。
管理された美しさ。
アクアリストはつい、
「こうあるべき姿」を水槽に求めます。
トリミングをしながら、私は思うのです。
結局、思い通りにしたいのは人間の側だな、と。
水草たちはきっと
「勝手に切るなや!」
と、関西弁で抗議しているはずです。
でも安吾なら笑うでしょう。
伸びたい方向に伸びさせろ
完璧じゃなくていい。
少し雑なくらいが、自然に近いのかもしれません。
◆弱い魚を見て、私たちは優しくなる
水槽には、必ず弱い個体がいます。
餌をうまく取れない子。
いつも隅っこで震えている子。
そんな子を見ると、
少し多めに餌を落としてしまう。
それは人間の弱さから生まれる優しさ。
安吾は、弱さを否定しませんでした。
弱さは、希望の始まりだから。
弱いから、守りたくなる
弱いから、救う気持ちが生まれる
水槽を通して、人間の心を見ている気がします。
◆心の水替えをする場所
仕事で疲れた日
落ちこんだ日
心が濁った日
水槽を眺めていると
「ちゃんとしなきゃ」という鎧が
すっと剥がれていきます。
堕ちてもいい。
弱くてもいい。
コケまみれな日があってもいい。
水槽はいつも、
そんな自分を受け止めてくれるんです。
◆結論:アクアリウムは、堕落の肯定
坂口安吾がもし現代にいたら、
水槽を眺めながら原稿を書いていたかもしれません。
- 生きようとする力
- 思い通りにならない自然
- 弱さの中にある希望
アクアリウムとは、
実は **“堕落を美しく照らす装置”**なのかもしれません。

◆最後に少しだけ

水槽は、いつでもあなたを“ありのまま”許してくれる場所です。
たまには、
弱い自分を覗き込んでみてください。
揺れる水草みたいに、
ちょっとだけ自由に、呼吸できるかもしれません。